エビと日本人Ⅱ 書評


『エビと日本人』と日本人

 本書は、タイトルが示すとおり『エビと日本人』の続編である。前著から20年、グローバル化の流れを大きく受けたエビをめぐる変化を伝える本である。

 この本を読んでの一番の疑問は、前著から私たちは何を学んだのだろうか、ということである。この20年間、私たち日本人に何かしらの変化はあったのだろうか。鶴見良行『バナナと日本人』でも『エビと日本人』でも、いわゆるグローバル化にともなう「搾取」の歴史は語られた。その他にも、書籍の形で、ドキュメンタリーの形で、そしてNGOのレポートの形で、さまざまな「搾取」が語られてきた。カカオ、コーヒー、スポーツシューズ、Tシャツ・・・。私たちの身の回りのものほとんどすべてが同じようなプロセスの中で存在しえているのだから、枚挙に暇がない。
 しかし、そういった事実を眼前にした私たちはどのように生きているのだろうか。私が『エビと日本人Ⅱ』に期待したのは、前著に対し日本人からどのような反応があったのか、もしくはなかったのか。もしあったとしたら、もしなかったとしたら、それはどうしてだったのか――そこの部分である。そして、そこまで描いてもらえた時に『エビと日本人Ⅱ』というタイトルの重みが増すように思うのだ。そういう点では残念であった。

 とはいえ、本書全体を通しなかなか興味深く読んだ。エビをめぐる人々の生活というものを垣間見ることができたからだ。

大津波後、マレーシアのアブドゥラ・バダウィ首相は、マングローブ林が津波災害の防止に役に立ったとして、マングローブ林の保全と、再植林を指示している。マレーシアのペナン島などいくつかの地域は、マングローブのおかげで津波被害が最小限に済んだという。また、バンダ・アチェからおよそ一〇〇キロほど南西に下ったいくつかの村では、マングローブ林のおかげで被害が少なかったそうだ。さらに、インド洋に面するアチェ西海岸沖のシムル島は、やはりマングローブ林のおかげで死者は四人だけだったという。(p.13)

実際に、マングローブ林が津波の威力を緩衝したかどうか科学的に立証するのは難しいであろう。しかし、もしそれが事実であるとすれば、『環境人類学を学ぶ人のために』で書かれていたジュリアンスチュワートの「文化の核」というコンセプトが非常に当てはまるケースだと思った。マングローブが彼らの生存に有利に働いてきた「文化の核」であり、その「文化の核」への過度な干渉が大きな負のインパクトを引き起こすという、まさにそれであった。

◇  ◇  ◇

 こういう本を読んでいると、私たちは、もとい私は、どうすればいいのか本当に良く分からなくなる。エビを食べないことが解決だとは思えない。エビで恩恵を受けている人は途上国にだっているだろう。グローバリゼーションのすべてが悪いとも思えない。しかし、エビで生活を翻弄されたり、いのちを絶つことになった人もまたたくさんいるだろうから、ただむしゃむしゃパクパク食べ続けていていいかは、はなはだ疑わしい。

 冒頭に前著から私たちは何を学んだのだろうかなどと書いた。普通に読めば、何もしていないといいたいということはご理解いただけるだろうから、批判がましく聞こえるだろう。しかし何をかくそう、この私自身がこの『エビと日本人Ⅱ』から何を学び私の生活に生かすのか、それがよく分からないのだ。今夜、私は何を食べるべきなのだろうか。

 私のこの感覚が決して諦観に終わらないように努めるのが、私のさし当たっての課題であるように考えている。


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