祖父からの宿題


KC3O0035 近親者を亡くすのは中二のとき以来、実に13年ぶりだ。13年前に母方の祖父が亡くなったとき、すごく悲しくてしばらくずっと泣いていた。あの時、あんなに悲しくてずっと泣いていたから、少しは死別のつらさというものに慣れたかと思ったけど、そんなことはまったくなかった。やっぱり悲しくてずっと泣いていた。死ぬ前の数日間は、今から思い起こして考えてみれば明らかに悪くなっていたのだけど、これまで何度も悪いときを切り抜けてきた祖父だったから、きっとよくなるのだと信じていた・・・。

 お棺に入れられた祖父や骨になってしまった祖父を目の当たりにしたときよりも、祖父と共有していた「当たり前」がかなわないという事実をふと認識したときに、「祖父が死んだ」という事実がぐっと強く迫ってきた。骨を拾ったあと、みなで食事をした。弁当をたべながら祖父との会話が思い起こされた――「これは硬くて食べられないから陽介が食べろ。」「おじいちゃん、これはやわらかいから、食べられるんじゃない?」――ずっとずっと繰り返してきたやり取りがもうできないのだという事実が、妙に悲しくて、切なくて食事どころではなかった。

 8月18日に日本に帰ってきて、8月28日に再度中国に行くことにしていた。しかし中国からのお客さんを接待するために、出発を二週間ほど延期していたら、祖父がその28日に入院することになった。そして出発を予定していた14日の3日前、11日の未明に祖父は逝った。私の日本滞在に合わせたかのような最期だった。病院からの連絡を受けて駆けつけたときにはもう亡くなっていたので、死に目には会えなかったのだけど、それでもきちんとお別れができてよかった。近年ずっとふらふらと海外にいることが多くて、万が一のときにお別れを言えなそうでずっといやだった。だから、そういう意味では今回、祖父の死に直面できたことはよかったのかもしれない。

 実は祖父が亡くなったのは、まさに中国のお客さんを接待していた最中だった。悲しみどころでそのあとのプログラムに参加する気力もそこで踏ん張る自信もなかったのだけど、次の日の行き先が祖父の故郷だったことが私の肩を押した。なんか不思議な縁に引き寄せられていた気がする。

◇   ◇   ◇

 今回祖父が入院してから逝くまでの二週間、変な表現だけどもすごく勉強になった。今もこうやって人々の「健康」に関する研究をしている私にとって、ある意味で一番強烈なフィールドワークになった。きっと今回の「調査」で発見したことは、私がこれから研究者として生きていくうえで、何度も検証をしていくことなのだと思う。これは、まちがいなく祖父からの宿題だ。

 人の生と死はやっぱり連続している。


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