原始の神社を求めて 書評


原始の神社をもとめて―日本・琉球・済州島 を読んで
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国家神道と朝鮮半島

柳田國男も折口信夫(ノブオだと思っていた汗)も読んだことはないし、御嶽(ウタキ)も堂(タン)も今回この本を読んで初めて知った。そんな知識皆無の私にとっては、この本は全体的に少し読みにくくて、この本が本来持っているだろう面白みをあまり満喫できないまま、おそらく読了したのだとおもう。特に中盤の歴史文献を引いている部分は、チンプンカンプンだった。

もちろん興味深いところもあった。

たとえば、著者が済州島や沖縄を旅する様子を記述している部分や第九章で示した仮説は面白かったし、何よりも臨場感あふれる書き方には読んでいてひかれた。

それから、神社のルーツをたどるのに、日本国内だけではなく朝鮮半島にも目を向けるべきだという視点は勉強になった。冷静に考えれば、昔から東アジアでの人口移動は盛んであったのだから、宗教や儀礼のあり方に関して日本と朝鮮半島の間で共通点が見出せるということは不思議ことでもなんでもない。しかしながら、神社は「国家神道」の拠点というイメージが私の中で強かったがために、神道は「日本オリジナル」なものだ、と思い込んできたのだと思う。それで、そういう「勘違い」が起こったのだろう。朝鮮半島に(も)ルーツがあるとはこれまで考えたことすらなかった。

それに関連して気になったのが、151ページに書かれている「調べてみればみるほど、(中略)なにもかも朝鮮くさいというわけです。しかしそれをいうと神宮司庁が困るというのですよ。」という部分。今神道を密接に関わっている人のなかには、この「朝鮮起源説」を厄介な事実と受け止める人がだろうから、この本を読んでどんな感想を持つのか気になった。

それにしても、民俗学はきちんと理解しておかなきゃならない。フィールドワークをやる上で、ヒントになることがたくさんあるだろう。

メモ
・(ほかの)島々でどうして堂がこれほど消滅し、済州島だけにいまだに数多く残って、しかも信仰が受け継がれているのか (53ページ)
・なぜ豚肉だけが禁忌の対象になったか(63ページ)
・神社に社殿が設けられるようになったのは、仏教寺院の影響によるものとされることが多い。(93ページ)
・当時那覇あたりに人身売買の市場でも会ったのではないかとさえ考えられる。(122ページ)
・古代、中世にあって、海人は農民に比べ、定住性が少なく、流動・漂白を事とし、国籍や国境をあまり意識せず、統治者にとっては御しにくいアウトロー的存在であった。(125ページ)
・奈良という国名の由来(142ページ)


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