人は歯が痛いときに、人を思いやれるか


ここ最近、毎週のように親知らずを抜いています。

ここしばらく昼間は忙しいし、これからもバタバタするだろうから、急に歯を抜きたいなんていうことは実質不可能なわけで。何でも計画的が一番の日本ですから、なくていいものはなくしてしまえ――ということで、4本の親知らずには口外追放処分の決定がなされました。

それで、ちょうど一週間前、3本目の親知らずを抜いたわけですが、骨と絡まっていたかなんかで、やたらと抵抗があって、約40分の大手術。涙は出るわ、背中汗びっしょりになってるわで、もう大変。でも、何よりも大変なのは、いまだに薬が切れると歯が痛むこと。

こればっかりは本当にひどい話で、薬が切れる午前4時ごろには眼が覚めるし、朝飲んだ薬が効いてくる授業中には眠くなるし、ご飯を食べるころにはまた歯が痛くて、大して食えない。しかも睡眠不足かなんだか頭痛もひどい。

こりゃ冗談じゃない。QOLも著しく低いわけで、余裕なんてないのですね。

口を開けばまず「歯が痛い」、しかめっ面して、指に手を突っ込んでまた「痛い」、しかも無精髭で、髪ぐしゃぐしゃとくりゃ、周りから見たら単なる不快な存在。あぁ、私の周りの人ごめんなさいね。余裕がナッシングアットオールでした。

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人は自分に余裕がないとき、大して周囲を見れないものです。それがイイコトだと正当化することは不可能ですが、悪いことでもないような気がします。

私は以前から、私たちがやる「国際協力」は、自分の無理のない可能な範囲だけで行なうものであるからして、それはそれなりの限界があるし、ことによると、「私」たちがめざしている世界には近づけないのではないか、ってそう思ってきました。

だって、自分のおうちが貧乏で給食代を出せないときは、「アフリカ ノ マズシーコ」には募金しないでしょ?

それってどうなのとも思うけど、別にそれがいけないということではないのかもしれないです。

少なくとも私は、自分に余裕がなかったら、募金しない。今は、自分に余裕がないけど、
解約の仕方がわからないから、口座から毎月どんどん引かれていってびびってるけど。

ケニアからメールが来ました。カメルーンからもメールが来ました。はっとしました。
すっかり忘れてたんだもん、何もかも。歯が痛いなんていうことは、ほんの一過性のことです。そんなんでも、こんなんだから、私はなんてへぼいだろうなって思いました。貧乏になって子どもでも生まれたら生きていくのに必死になるでしょうね。

それのどこが悪いんだ?

でも、そんなんでいいのか?

ちなみに、免罪符で、高齢者に席を譲りました(笑)こんなこと言っていて、ますますへぼいですが、とりあえず、へぼさを自覚しながら生きていくことが、今の私には大切なことなんです、ということにしておきます。


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