死因不明社会 書評


死因を「特定する」社会の話
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 本書は、遺体に対する画像診断であるAi(オートプシーイメージング)の有効性を示し、Aiを死亡時医学検索のプロセスの中に組み込んだ医療システムの構築を主張するものである。解剖率が2%と低い日本においては、「本当の死因」が出来ていないことが多いと筆者は書く。正しい事実に基づいていないから、犯罪が見過ごされたり、集積されるべき学問的知見が無駄になっているというのである。

▼Aiを普及するために書籍を書く
 筆者は、Aiの普及活動に携わり限界を感じていた。そこで、よりひろく人々に知ってもらうために小説「チーム・バチスタの栄光」を記した。本書の中に登場する変人官僚・白鳥も「チーム・バチスタの栄光」の登場人物である。自分の主張を広く知ってもらうために小説を書く――そもそも、そのアイディアを思いつくこと、そして実際に書いたこと、さらにそれが売れて広く人に知られたこと、すごい、のひとこと。

▼想像していたのと・・・
 死因不明社会というタイトル。何を私が予期していたかはっきりしないのだが、なにか「思っていたのと違うな・・・」という思いがずっと付きまとった。読みはじめは何の話をしているのか、良く分からなかった。え?解剖?画像診断?のような反応だった。死亡時医学検索という言葉にもなじみがなかった。もっとストーリー性のある小説のようなものを想像していたのだろう。

 読みおわってみて、Aiというものの重要性は良く分かった。ただ、へーというか、ふーん、というか。ファンになる、という内容ではなかった。(誤解を恐れずに書けば)正直言って、あんまり興味がないのだろう。

 それといまひとつ響かなかった理由は、学部生のころ、医療倫理の授業を受けていたときに感じたコトを今回も感じたからだと思う。貧困で苦しみ次々になくなっている人が世界にはたくさんいるときに、医学システムを極めて高いレベルで改善しようとしているのが日本の状況である。途上国の中には、死因を特定するまでもない国なんてたくさんあるのだ。
 こういうギャップを目の当たりにすると、「医学で人を救う」という言葉には、全然普遍性がなくて、本当に限局的な狭い世界の話であるのだな、という(ある意味で)きわめて当たり前のことを思ってしまう。まぁ、一番残念なのは、そう書く私すら、自分の親族が亡くなったときに画像診断をお願いしてしまうかもしれないということなんだけど。


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