無名の語り メモ


無名の語り―保健師が「家族」に出会う12の物語渋井さんに薦められた本。

この本を読んだ感想が、「保健師の仕事って大変なんですね」というだけのものであれば、とてももったいない。うまく言葉でいえないのだけど、保健師の仕事場って、「人間らしさ」「人間くささ」が濃縮して表出している場所であると思う。取り上げられるケースはどれも支援を必要としているケースなのだけど、それでもどこか自分の生活との連続性を感じざるを得ない。

そりゃ、もしかしたら自分の生活が支援を必要としたものであるということを意味するだけなのかもしれないけど、引用した文章を眼にしてもらえれば、きっと納得してもらえると思う。

◇  ◇  ◇

p.40 保健師は、終着駅に導く機関車の運転士のような存在ではない。慣れぬ旅先で待機している水先案内人であり、渡り舟の船頭であろう。しかし、それがいなければ、岐路で道を失った人は目的地にたどりつくことはできない。あの夫婦にとっても、保健師と出会ったことはなにがしかの意味はあっただろう。

p.42 けれども、少し考えてみれば、早朝から電話してくるというには尋常なことではない。その人がどんな思いで一夜を過ごし、保健所の都合を気にしつつ、朝一番に電話せずにいられなかったかに思い至れば、おざなりな対応では済ませられないはずだ。

p.64 寂しくても矜恃の高い人の発する微妙なサインに、私は鈍感だった。

p.70 心の躍動が失われ、孤島にいるかのような人の前で、私たちは自分の無力を知る。それだけならいい。ずっと心を配り、何時声をかけても一向に前向きになれない相手に腹を立て、「この人は病気に負けている。病気に逃げ込んでいる」と非難の気持ちが心の底に湧き上がってくる。自分が提供しようとする援助に反応しない相手を「力がない」と査定する。そんなこちらの心の動きを見透かすかのように、相手は一層「孤高なる魂」に近づこうとする。

p.86 加藤先生が子供たちに起きている問題点に触れようとすると、母親はなんだかんだと遮ってしまうらしい。母親に反感をもたれて関係が切れることを危惧した加藤先生は、それ以上踏み込んで直面化を迫ることをためらい、当面は母の気持ちを支持する受容的な関係作りを心がけているのだと思う。

p.93 保健師の中では、たくさん受け取る人とほとんど受け取らない人との間に、言葉にならぬ感情が生じる。たくさん受け取る人は、それだけ相談者に親しまれていると見られる一方で、距離が近すぎる相談関係なのではないかと疑われる。ほとんど受け取らない人は、相談者との関係作りが下手なのだろうかと思われる一方で、相談者と冷静な距離が保たれていると評価されることもある。

p.97 最初に、どんな相談でも引き受けられるわけではないと断り、夫の思うように使われてしまわないように予防線を張っておく。アルコール依存症の人は、差し伸べられた援助の手に無制限に寄りかかってくることも多い。そんな彼らの対人依存性も考慮しておかなければ

p.188 涼子さんのような人は、最初の出会いで、自分の期待を満たして動いてくれそうな人を確実に選別する能力をもっているようにさえ思えてくる。私はこのとき、依存対象として理想化されたり、操作されたりする危険を感じながら、ある程度、彼女の手中に入ることを覚悟していた。

p.194 涼子さんの人とつながる力は天与のものであると思わずにはいられなかったが、結局はいつも疲れてしまう。「私は、誰かの面倒を見ていないと落ちつかないの」と語る彼女に、私は、自他の境界が曖昧で、他者に侵入されやすく、同時に、献身によって他者を支配したがる、そんな対人関係の病理を感じていた。


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