「途上国」日本の経験を活かすためにしなくてはいけないこと


国際協力の分野でそれなりにシンポジウムなどに出席していると、しばしば“「途上国」であった日本の経験を活かそう”という言葉がきかれる。一時は焼け野原となった日本が、目覚しい発達と復興を遂げたその経験を活かして、現在の途上国支援、国際協力に活かそうというのが彼らの主張である。彼らによると、当時の日本の経済状況、社会開発状況はいわゆる途上国にふさわしい状態にあったとされる。(具体的にどのような数字を示して、彼らが発言しているのか、はっきりしない部分もあるが、仮に途上国であったとして、)果たしてここまで発展してきた「経験」を本当に活かすことができるのだろうか。
今回学会に参加して国際保健医療の現場でも同じような「現象」が見られた。正直、不安に感じる部分が少なからずあったので、メモしておきたい。

▼疑問その①:「初期条件」の違い
GDP や乳児死亡率(Infant Mortality Rate:IMR)、妊産婦死亡率(Maternal Mortality Rate:MMR)などの指標を見れば、おそらく現在の途上国と同じ水準だとしても、なかなか数字に表れない部分、教育水準(識字率のような分かりやすいものではなく。)、女性の地位、健康に対する価値の置き方、特に他の諸問題との相対的な位置づけにおいて、日本が特殊だったという可能性は否定できない。
これを言っちゃ、おしまいよ、という話なのが、国民性。国際協力においてはタブーワードなのだと思うけど、なんやかんやで大きな影響を与えているような気がする。
全体的に雲をつかむ話のようだが、野村克也の言うような「無形の力」が日本人には備わっている可能性がある。

▼疑問その②:成功事例だけ見ていて果たして本当に教訓は得られるのだろうか。
今回の学会の発表では、戦後のGHQが導入した公衆衛生活動をささえた、生活改良普及員や保健婦の活動事例があげられ、それを現在の国際協力のコンテクストの中で再評価しようとしているものであった。私が感じた問題点は、成功事例のみを事例として扱い、それをモデルとして拡大しようとしていた点である。うまくいかなかったケースに関して何の言及もなされていなかった。

そこで、(空気を読まずに笑、)うまくいかなかったケースの有無について、会場で質問した。
そして驚いたことは二つ。
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1)最初に回答したコメンテータがうまくいかなかったケースについて把握していなかったこと。
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2)私がさらに突っ込んで質問した際に回答したコメンテータは、うまくいかない場合の存在はあったものの、それは、サービスの受け手=住民の問題であると回答したこと。さらに、座長がそれに同調したうえで、「住民がやりたいといった場合だけ行政サイドが対応してきた」、と回答したこと。(そして、国際協力の場でもそれを踏襲しようとしていること。)
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1)に関しては、予想の範囲内であったが、2)はあまりにも乱暴な議論であり、びっくりしてしまった。うまくいったときは行政がきちんとしていたから、うまくいかなかったときはきちんと住民側の意識が高まっていなかったから、といわんばかりであった。
つまり、私が言いたいことはこういうことである。うまくいかなかった理由が住民側にあるのであれば、うまくいったケースも住民側に因ることがあるのかもしれないし、同じように、うまくいったケースがサービスの提供側にあるのだとすれば、うまくいかなかった場合も、サービスの提供側にある可能性がある、ということである。にもかかわらず、この議論の中では、そういった一連の可能性は、一切無視である。

▼うまくいかないケース
うまくいかなかった場合、原因として、以下の3つの場合わけが今回は考えられるだろう。
1)サービスの提供側にある場合
2)住民の受け手側になる場合
3)両者のマッチングがうまくいかなかった場合
しかし、2)だけ考え、他のケースを彼らは想定していなかった。もちろん、限られた時間の中で、「なんとなく」の結論を出さないといけない状況で答えたのかもしれないが、仮にもたくさんの書籍を出し、そこそこ売れている研究者の割には、ずいぶんと雑な議論ではないかと感じた。

◇  ◇  ◇

成功事例はあくまでも偶然の産物に過ぎない可能性がある。「特殊」な状況である過去の栄光にしがみついていないで、うまくいかなかった部分も含めてこれからどのような対策をしないといけないか、考察しないといけないのではないだろうか。


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