臓器移植とPerson-in-Context


脳死臓器移植の可否の意思表示に関して議論される際に、自己決定権と呼ばれるものがベースにある。自分の人生における決定は、公共の福祉に反しない限り、自分の判断で下すことができる、という権利である。確かに、何を食べたいとか、どこに暮らしたいとか、何を生業にしたいとか、そういうことは可能な限り認められるべきなのかもしれないが、それは果たして自分の命の長さに関しても同様に適応されるべき権利なのであろうか。

数日前のニュースで、家族の臓器提供に7割の人が賛成していると言うニュースがあった。
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脳死下での臓器提供の手続きを定めた臓器移植法が施行されてから16日で10年になったのを機に、朝日新聞社は13、14の両日、全国世論調査(電話)を実施した。家族が意思表示カードなどで提供意思を示して脳死になった場合、提供に賛成するとした人は71%、反対が17%だった。現在の法律では認められていない15歳未満からの臓器提供については、46%が年齢引き下げを支持した。
http://www.asahi.com/life/update/1016/TKY200710160395.html
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自死に比べて、脳死臓器移植に関する死の決定は比較的社会に受容されている。しかしながら、自分の死に関して同じように自己決定をなされたという点では似通っている。それでも少なからず大きな差が生まれるのは、その死が「無駄死に」ではないとされていること(=つまり何らかの意味づけをされやすい状況になっているということ。)、そして何よりも制度化されたことにあるのだろう。(※1、※2、※3)

私は、臓器移植においても自己決定権のひとことですべて片付けてしまうのは、いかがなものなのだろうかと思うし、なによりもちょっぴり「寂しい」。(※4)つまり、「私」は必ずしも私個人だけのものではなくて、社会的な存在としての側面をも持つ。その「私」の命を、仮に他の命を助けることがあるにせよ、私個人の判断で絶つことは、殺人と変わらないのではないだろうか。そして、私の親族が体温が暖かいままに、その臓器を引き抜かれ、そのまま死んでしまうということになれば、それは寂しいことだ。すくなくとも冷たくなった祖父の遺体を目の前にした14のころの私であれば、きっと冷静に割り切ることはできなかったはずだ。
それに仮に、人を助けることができるという「大義名分」があるにせよ、その大義名分が微妙にすりかえられていってしまう可能性は少なからずあるという意味では、いずれにしろ非常に怖い。

それでも、家族の脳死臓器移植に対して71%もの人が受容しているのは、たぶん、自己決定権に対する、一種の諦観(あきらめ)が私たちの中にはあるのだろう。その人が決めるのだから、周囲は口出しをするべきではないという感覚の存在――本当はいやなんだけど、なんとなく違和感を持ちながらも納得せざるを得ない――があるのではないか。

しかしながら、自己決定権という「専門用語」に縛られる必要はないのである。医学モデルのみで世界を固められ、そこにある「つながり」を阻害される感覚がもし私たちにあるのだとすれば、それには明確にNOというべきである。そもそも医学モデルだけで世界を捉えることは不可能なのである。

そう考える私には、小松美彦の「死は共鳴する」という言葉、また健康科学・看護学科でならったPerson-in-Contextという言葉は非常にしっくりくるのである。

医学だとか医療従事者への信頼というものは、素人が理解できないことがら、もしくは冷静な判断ができない状況の存在の裏返しで成立してきた。(※5)そして、強大な依存を医学に対して私たちはしてきた。しかしだからといって、その医学モデルに拘束されるのは、完全に本末転倒であるのだ。

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たぶん自分の家族が脳死臓器移植が必要な状況に陥ったとき、私はどうなるのか、よく分からない。「よく分からない」というのには、いろいろなフェーズがあって、(1)そもそも移植を受けるべきか受けないべきか決定が下せなそう。(2)受けることにしても、ドナーが死んだという事実の存在を頭の片隅から消し去ることはできない。(仮に消し去る必要がないとしても、そういう意味ではなく、人生の中心的命題として常に目の前にfloatingしそう。)(3)受けないという決定をしたときは、家族を「見捨てた」ような感覚に陥って良心の呵責に悩むかもしれない。

さらに身勝手なのは、家族がドナーになることよりも、レシピエントになることのほうが受け入れやすそうと言うことだ。全く以って無責任だな。でもこれが本音かもしれない。

と、こういう風にやってむにゃむにゃ、人類がただでさえ忙しいのに、考えないといけないところに医療技術の進展による「人間疎外」の問題があって、さらに問題なのは、これがモダンタイムスで語れらたのと同列で語られないことなんじゃないかなと思っている。それは、なんだかよく分かるようでわからない「正統性」が医学にはあるからだと思っていて、最先端医学と言う文脈でも、国際保健協力という文脈でも全く同じなんだけど、「人の命を助けるゾ!」という正当性のようなものを前面に出すことで、とりあえずみんないろんな不都合はおいておいて納得しちゃう。そういう意味では、「医」と言うものはきわめて特殊なのではないだろうか。産業が発展するって言ったって、やっぱり人は単調な機械作業には耐えられなかったんだけど、医療の場合は、結構、 「不都合」へ反応する閾値が高い。もちろん、それだけ「命」に価値を置いているって言うこと、といってしまえばおしまいなんですが。

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日本人の死、それからその裏返しの生に対する価値観って言うのは、西洋的なものとはやっぱり違うんだろうから、そういう意味では、日本の基準をしっかり作ることが大切なんだと思う。生に対して思いっきり固執するかと思いきや、意外と死に対する諦念がある気もする。ピンピンコロリみたいな話だ。

しかし、ピンピンコロリがいいと散々いっていたはずの祖父が、何度も入退院を繰り返すようになって、俺は、まだ死にたくない、こんなはずじゃなかったというようになったいくのをを聞いていると、死を実際に(ある程度)意識したときに、また人の死生観っていうのは思いっきり変わるんだなと。そこもまた難しい話だ。

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(※1)「死ぬ意味」が「生きる意味」を超えたら果たして死ぬに値することになるのか。それを制度として受容するということはいかなることなのか。
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(※2)波平恵美子の『医療人類学入門』の中に書いてあった臓器移植へのネガティブな国民感情から考えると、だいぶ状況は変わっているようである。私個人も、一時期は臓器提供意思表示カードを持ち歩いていたものである。
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(※3)その死が「無駄死に」ではないということは、臓器移植推進派による一連のキャンペーンによって声高に叫ばれている。どこどこの難治性患者がアメリカにわたるためにたくさんの大金を募金で集め、アメリカに何とかわたり、手術成功しました、日本では臓器移植の制度が成り立っていないから、わざわざアメリカに行かないといけないんです・・・。しかし、ドキュメンタリーで取り上げられるケースのほとんどが、レシピエント側(しかもハッピーエンディング)であり、ドナー側が完全なブラックボックスになっていることは、福音としての脳死臓器という面のみの強調になっていよう。
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(※4)小松美彦がほぼ同様のことを述べているので、詳しくは、そちらを参照のこと。(「脳死・臓器移植の本当の話」
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(※5)基本的に、インターネットの検索でなんでも「暴かれる」状況が作り出されているのは、医療従事者の専門性の相対的な低下をもたらす。マジックの種をばら撒かれたときに、それでもマジシャンはマジシャンでいることができるだろうか。
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家族の臓器提供に賛成7割 本社世論調査
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2007年10月16日23時02分

 脳死下での臓器提供の手続きを定めた臓器移植法が施行されてから16日で10年になったのを機に、朝日新聞社は13、14の両日、全国世論調査(電話)を実施した。家族が意思表示カードなどで提供意思を示して脳死になった場合、提供に賛成するとした人は71%、反対が17%だった。現在の法律では認められていない15歳未満からの臓器提供については、46%が年齢引き下げを支持した。
 99年3月の調査(面接方式)では、同様の条件で家族が脳死になった場合の臓器提供に賛成は61%で、今回はそれより増えた。20、30代では賛成が8割を超すなど若い世代ほど高い傾向にある。
 現行法では脳死下の臓器提供には、本人の意思表示と家族の承諾の両方が必要。だが同法に基づく臓器提供が10年間で62件にとどまっていることから、家族の承諾だけで臓器提供できるようにする改正案が提出されている。調査で提供に本人の意思確認が必要かどうかを尋ねると「必要」は48%で、「家族の承諾だけでよい」の40%を上回った。
 15歳未満の子からの提供を「認めるべきだ」としたのは46%で、「認めるべきではない」の35%を上回った。「認めるべきだ」とした人のうち、下限年齢を「12歳まで」としたのは22%。「年齢制限をなくし乳幼児にも認める」としたのは66%だった。
 脳死を人の死と考える人は47%。99年5月調査では52%でほぼ横ばい。今回、心臓停止に限るべきだとした人は34%(前回30%)だった。
(朝日新聞 http://www.asahi.com/life/update/1016/TKY200710160395.html
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