民族生態学


環境人類学を学ぶ人のために
第3章

▼文化の定義は、さまざまである。日本語のオタク文化といったときの「文化」だって、文化の一つである。Wikipediaでは、「人間が長年にわたって形成してきた慣習や振舞い」というのが第一義として掲載されている。しかしながら、生態人類学の分野では、文化とはある環境において、人が効果的に行動するために知っていなければならないものとするのが一般的のようである。環境は、自然環境のみならず、周りに存在する社会的な要素に含んでいる。
▼さて、ここで問題になってくるのが、何を以って効果的とするかである。文中では、①内なるもの(その文化を体現するもの) ②外なるもの(科学者) ③非人格的なプロセス:自然淘汰や進化といった成功しないものを排除するプロセスを挙げている。もちろん、①~③のすべて、というのが答えなのだろうけど、フィールドワークをするものは、②と③、特に②を過大評価しがちだろうから、気をつけないとならない。

▼それぞれの言語においてどのような意味づけをなしているか調べるのは、民族生態学と呼ばれる学問領域である。タクソノミー研究(Taxonomy)という。本文中の記述で、カナダの先住民が13種類の氷を見分けているというものがあった。安全にわたることができる氷とか、漁の成功が見込むことができる氷とか、ホントかい!?というツッコミがしたくなるが、実際にそれがそういうものを示唆する氷であるかどうかよりも、彼らが、見分けようとしていること自体が、非常に興味深い。ことばと文化は密接に関連している。ことばも文化も互いに制限をかけているようにも感じられる。
▼たとえば、留学生にKYを説明しようとしても、なかなかうまくいかない。きっと英語にKYという概念が違うからに違いない。だから、ブッシュは空気が読めないんだ。

▼今回のキーワードは「社会的に構築される」ということばである。本文中では、単に外在する本質的現実を反映しているのではなく、それをわれわれの内に内面化し社会的現実へと作り変えるものという説明がなされている。 “自然”というものが何であるか、というのは、それを語る人のバックグラウンド(価値観とかそれを形成させた経験とか文化とか)が前提になっていて、万人に共通するものではないということである。自然/文化という二項対立は自明として捉えられていたが、それを否定する見方である。
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▼参考
Wikipediaによると社会構築主義とは現実(reality)、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、すべて人々の頭の中で(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないとする、社会学の立場
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▼自然/文化という対比は、キリスト教社会の価値観なのだろうか。

▼日本語の語源の話。
セロリ celery
パセリ parsley
芹 セリ Japanese parsley
ほんまでっか?


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