いつまでもデブと思うなよ 書評


スーダラ節からみた『いつまでもデブと思うなよ』の本質

いつまでもデブと思うなよ 書評
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 私は身長が175センチで体重が67,8キロ。つまり、Body Mass Indexが約22の「標準」体型である。最近はだいぶ腹回りのポニョが気になるとはいえ、これまでの人生で「俺はデブだー」と思ったことはないし、まして、「いつまでもデブと思うなよ」なんて思ったこともない。だから、本書の存在は知っていたものの、これまで読もうとすらしなかった。でも、今回読む機会を持ってよかったと思っている。思っていた以上に素晴らしい作品だった。

分かっちゃいるけどやめられない。
 健康教育の評価方法のひとつとして、KAP調査というものがある。健康教育の達成率を、Knowledge(知識)、Attitude(態度)、Practice(実践)のフェーズごとに把握するものである。たとえば、エイズを例にとって見れば、

1.Knowledge(知識)
 エイズの存在を理解していて、予防行動の種類を知っているかどうか。
2.Attitude(態度)
 エイズの予防行動をやろうとしているのか、やろうとしていないのか。
3.Practice(実践)
 実際に予防行動をとっているか、とっていないか。

という風に説明することができる。「エイズが問題の地域なんです」といってもその全ての地域を十把一絡に扱えるわけではなく、それぞれの状況に応じた対策を考えることが望まれる。(ちなみに、KnowledgeよりもAttitudeの方が、そしてAttitudeよりもPracticeの方が変容するのは難しい。)

 KAP調査のことを書いたのは、「ある行動の必要性は知っていて、しかも、その行動をとりたいと思ってるけど、とれないことがある」ということが書きたかったからだ。KとAを満たしていてもPがボトルネックになることはしばしばあるのだ。ダイエットのケースも同様で、「太っていることは身体に悪い。ダイエットの方法は巷にたくさんあるから結構知っている。ダイエットもしないといけないと常に考えている。でも、ダイエットできない・・・。ダイエットが続かない。」ダイエットをしようとしている人は多かれ少なかれ、そういう傾向にあるだろう。

 原因は簡単である。分かっちゃいるけど、やめられない、その一点である。先人は50年も前から声高らかに唄っているではないか。ポテトチップス食べたら太るよな・・・でも、いつの間にやら食べていた。みんな結局は自制ができないのだ。

 では、どうすればいいのか。自制しないで出来る方法を考えることだ。

努力しない努力
 とにかく苦痛のともなうことを続けるというのは困難極まりないこと。筆者が書くように「持続がラクチンなことがなにより大切なのだ(p.13)」「そのがんばりはいつまで続くのだろうか(p.12)」「あれもこれもと考えていると続かなくなる(p.122)」など、なるべく「努力すること」や「苦痛」を意識させない工夫が大切である。
 だから、筆者の「ダイエットは楽しんでやるものだ」とする姿勢には納得したし、ダイエットがマンネリ化したときに「分かりやすく」「モチベーションが向上しやすい」指標を使おうとすることにも全面的に賛成である。たとえば、一日単位ではなく週単位や月単位で体重減少の評価をおこなうことで、一日単位で見たときに体重減少が足踏みしたとしても、「減っている」ということができる。そうすることで足踏みしていることに関するダメージを軽減することは可能になるのだ。同じ事象を扱っていたのだとしても、モノの見方を工夫すること「だけ」で(ときに常識的に考えておかしな情報であったとしても)、受ける印象や感じる気持ちには大きな違いがある。モチベーションをマネジメントするテクニックと言えるだろう。

他のことにも応用できる
もう少し、本書を褒めてしまおう。この本の本当の価値は、ダイエット方法論以外のものを得ることができる、ということだと思う。受験勉強だって、高血圧予防のための食事療法だって、キャリアアップのための資格試験のための勉強だっていい。自らを律してゴールに向かう努力をする必要があることであれば、何にでも通じるメッセージが含まれている。筆者はこう書いている。

問題を明確にするために、自分にとってうれしくない結果も正確に記録し、認識すること。問題が起こってからあたふたするのではなく、あらかじめ問題を想定して、答えを用意しておくこと。自分にできること・できないこと、特異なこと・不得意なことの境目をはっきりさせ、できること。得意なことだけに全力をかたむけること。そして何よりも、続けられるように創意工夫すること。(p.23-24)

その上で、突っ込みたいこと
でも、そう考え突き詰めていった先に「メモを取る」という行為が存在するのだろうか。私だったら、一週間後には違う用途にメモ帳を利用している気がする。
やはり、ダイエットプログラムを生活の一部に組み込むこと、たとえば、会社のエレベータを止めてしまうとか、社員食堂を減塩にしてしまうとか、業務時間中にみんなでマラソンする時間を作るとかして、それ以外の選択肢が取れないという状況を作るくらいのつもりでいないと、結局、「デブ」は「デブ」のままなのだと思う。特に健康教育プログラムを作ろうとしている人はそういう認識の下にプログラムを組まないと意味が全くないと言ってしまってもいいと思う。

最後の最後で、方法論自体にケチを付けてはいるが、総じて、出来の良い新書だと思う。新書にたまにあるような内容の薄っぺらさはなく、密度の濃い作品だ。命を削って書き出した、そんな表現がふさわしい。

▼メモ
○親切な人がさまざまな助言をしてくれるのが不安にさせる。(p.17):受験生も一緒。「そんな参考書やっても意味ないよ。」 にわか権威っていろいろなところに出没するけど、どうしてわたしたちが意外と素直にだまされてみるのだろうか。
○中途半端にやる気を駆り立てると、「健康オタク」とか「筋肉オタク」(p.12)だけがますますがんばりスリムな体型になることで、ますます「デブ」との間の差を大きくするだけにとどまってしまう。
○見た目主義社会の到来:本当に見た目なのか/「デブ」のメンタリティ
○頭の欲望/体の欲求(p/179)
○もと「デブ」だから書けるタイトル。


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