貝と羊の中国人 書評


貝と羊の中国人 (新潮新書)書評
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純粋に読み物として興味深い。中国人が持つ二面性を「貝と羊」という比喩を用い、ふたつの側面を対比させ、中国人を論じている。

漢民族の思想のルーツを、今から約三千年前の殷と周というふたつの民族集団に求めるのが本書の視点だ。漢民族は、ふたつの文化を受け継ぎ、うまく使い分けている。そこが中国人の強みであると筆者は述べる。

◆貝の中国人
殷人は豊かな東方に暮らし、金属貨幣の変わりに貝を貨幣として使用した。殷人は、その後、土地を奪われて亡国の民となるのだが、各地に散ったあとも連絡を取り合い、物財をやり取りし、生業を営んだ。現実的で、有形の物財を重んじる。

◆羊の中国人
一方の周人の先祖は、中国西北部の遊牧民と縁が深かった。彼らは、唯一至高の神で、イデオロギー的な「天」を信じ、羊をささげ、善行や儀礼などを以ってして信仰心を表した。

躍動する現代中国の表層にばかり目を奪われていると、本質的なものを見落としてしまうのではないか。根本に立ち戻り、「中国人とは何ぞや」という疑問を大づかみで考えることが、今こそ必要なのではないか。(p.5)

 中国人の現実主義的な部分と理想主義的な部分。この相対するように思われる価値観がうまいバランスをとっているのが現代の中国の価値観である。すべてをDualismで議論することにはもちろん例外や反証も出てくるが、そうだとしても、大体の思考の枠組みを理解するうえで、「羊」と「貝」という軸から「中国人」を描くことは有用であるとしている。

 ホンネとタテマエなどということは日本でもよく言われていることだし、おそらく他の国でも多少の差はあれ存在することだろう。しかし、積極的な市場経済政策(ホンネ)と共産主義(タテマエ)が矛盾しない特殊性を説明するためには、このふたつのルーツに理由を見出すより他なさそうである。

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 蛇足だが、本書の根底にあるのは、中国を好意的に捉えようとする筆者の姿勢だろう。したがって、「反中」本の類の書を期待している人には全く向かない。
 「反中」本に書かれていることも中国の一側面だろう。しかし、全ての面ではないだろう。それに、そこには第三者のフィルターが介在する。日中が未来志向の関係を築くには、まずはお互いを自分が行き来することから始まるべきだ。そして、たくさんの共通点や相違点を互いが認識し、全てをひっくるめて共有すればよい。

外国人が、中国の機微を理解するためには、「冷たい目」と「暖かい心」の両方が必要であろう。外国人として、中国社会を外から突き放して見つめる、冷徹なまなざし。それと同時に、同じ人間として、中国人と一緒に怒り、泣き、笑うことができる、共感する心。(p.241)

私は、7月16日から中国海南省に行く。エスニックマイノリティを対象とする研究である。そこには羊でも貝でもない中国があるだろう。「もうひとつの中国」を自分の目でしっかりと見て来たい。

▼メモ
すべての部分で貝と羊の使い分けを対比させているわけではない。どちらかというと、中国の歴史を振り返りながら、「ほら、ここは羊でしょ?」「ここは貝でしょ?」と述べている印象を受けた。ただ、いろいろなことを知ってオモシロかった。

・一所懸命と落葉生根(p.29)
・「功」と「徳」:p.54
・盛り塩の由来(p.118)
・中国文明は、(略)士大夫という一階級によって征服されていたのだ。(p.129)
・昔の中国では、罪を犯した金持ちが、死刑の身代わりを雇うことさえ、しばしばあった。雇われるのは、生きるのに窮した貧乏人である。(p.141)
・人から「いつになったら平和が来るのだろう」と問われた岳飛は、「文民が銭を愛さず、武将が死を惜しまなくなれば、天下は太平になる」と答えた。←「武将が死を惜しむようになれば、」の間違いでは?
・村長の愚痴→アジアがもし百人の村だったら(p.149-151)
・タイムマシンの時間旅行を体験したければ、中国に行くとよい。(p.160)
・支那が蔑称である理由(支那とジパング p.198-)


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