尊厳死と安楽死


高校時代の仲間から電話。
先日おこなったOB会のことかな、なんて思って
電話に出たら、いきなり「尊厳死と安楽死って何か知っていますか?」という質問。
何でも、ゼミのためのアンケート調査らしいが、いきなりで面食らった。
で、へんなこと言っちゃった。
ごめんね、高橋。

まぁ、せっかくなので考えてみよう。

尊厳死も安楽死も言葉自体があまりニュートラルに聞こえないので、(注1)
こういった言葉を使いながら、議論を進めるのは、
少しアンフェアな気がするが、そうでもしないと面倒なことになるので、
どうしたものか。
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(注1)「尊厳」も「安楽」も、もともといい言葉であり、それらを含んだ尊厳死や安楽死ということばも、そもそも「いい」という価値観を含んで存在しているということ。そりゃまぁ、それらを推進する人たちによって名づけられたので当たり前だが。
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私が理解するところでは、
尊厳死は、終末期医療の現場における消極的な自殺幇助であり、
安楽死は、終末期医療の現場における積極的な自殺幇助である。

意思決定で関わるのは、本人、家族、医療従事者の三者だ。
決断を下すのは、基本的には、本人がであることが多く、
専門家としての医療従事者にアドバイスを求め、
また最終的な処置を行使してもらうことが多い。
家族の決定もある程度考慮される。

実は、脳死臓器移植の際にも同じようなプロセスが踏まれる。

現行の脳死臓器移植の現場では、
①脳死判定
②脳死者本人の生前の署名による臓器提供意思の表明(自己決定権にもとづく)
③家族の同意
である。
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(注2)ちなみに意思表示ができるのは15歳以上であり、小児の移植はきわめて難しい。
また、移植がなかなか行なわれない状況を打開するため、法律を改正して、
実施例を増やそうとしている。
(注3)外国では、本人の承諾があればいかなる場合においても移植可能である場合や、本人が脳死になった際に拒絶の意思がない限り意思があるとして移植可能であるとみなすという場合が多い。
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課題は多い。
たとえば、
1.脳死の判定方法が、患者の身体に相当な負担があること、
2.そもそも臓器を再利用していいのかということ、
3.相当なお金が動いており、犯罪が起こることもあること・・・
などだ。しかし、なによりも、
4.「脳死臓器移植を成功させるための、臓器を守る医療行為」と「脳死を防ぐ医療行為」が相反する場合があり、それに従い、意思表示カードの有無によって、治療方針が変えられるケースがあること
これは大変に重要な問題だ。

つまり、人の死が恣意的に設定されてしまう危険性がある、ということだ。

安楽死や尊厳死もそこに、危険をはらんでいるような気がする。
安楽死希望カードなんていうものが作成されたら、
安楽死させるべく治療が進められたり診断が下される可能性も無きにしも非ずだ。

つまるところ、医師をどこまで信頼していいのか、ということなのだが、
所詮医師も人のことである。何が起こっても不思議ではない。

脳死臓器移植にしろ安楽死にしろ尊厳死にしろ、
議論の根底に必要条件としてあるのは「可能な限りの適切な処置」である。
医師の「手を尽くしましたが・・・」がなければ、議論の根底がずれてくる。
脳死移植で助かる人がたくさんいたので、この患者さんには死んでもらいました――
というのでは、だいぶ感じ方がちがうであろう。

徹底した最大限の治療が行なわれた上で、それでも、
延命しても助かる見込みがない場合に限り、
日本人の中に「自然」に死にたいという願望が多くあると感じるので、
尊厳死は認め、安楽死は認めないというのがふさわしいと思う。

日本では尊厳死や安楽死に関して十分な認知がないので、
脳死移植判断でさまざまな国がやるように、
「本人に拒絶の意思がない限り、意思がある」として
尊厳死や安楽死を迎えさせることは現状では不可能である。
また、家族がいいからといって、尊厳死や安楽死というものを認めてしまうことも、
家族が何を考えているか、わからないので(笑)、認められない。(注4)
今しばらくは、本人の意思の確認は絶対に必要であろう。
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(注4)遺産目当てかも知れない。
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本人の意思の確認が取れ、しかも家族の反対がない場合に、
尊厳死は認められるかもしれない。
(ともに生きた家族である。反対したっていいはずだ。社会的な存在である人間は、患者個人だけの所有物ではなく、本人がもういいからといって死んでいっていいといえるものでもない。)

また、安楽死は、早い話しが自殺である。
与えられた命を生きないことは、結果としておこってしまうことはあっても、
法的に認める認めない、個人の権利だ、云々の議論には含まれない。
また、医療提供者がすることではない。
医療、特に終末期医療という現場を特別視しすぎだ。
そういった現場でなくても死に直面している人はいる。

ちなみに、今回の事件に関して言えば、私の立場では、
家族の同意が取れていようと、いまいと、
生前の本人の意思確認が取れていない点で、
尊厳死でも安楽死でもなんでもなく、医師の行為は殺人になる。

患者が苦しんでいるから死にたいと思っているように見えたというのは、
医師の勝手な推測に過ぎない。
苦しんで生き抜こうとしているかもしれない。

[参考資料]
脳死・臓器移植の本当の話 小松美彦(PHP新書)

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臓器移植法改正2案の提出を了承 自民総務会
2006年03月28日12時07分
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 自民党は28日の総務会で、臓器移植法改正案2案を今国会に提出することを決定した。また、97年の臓器移植法成立の際に党議拘束をかけなかった前例にならい、今回も採決時には党議拘束をかけないことも決めた。公明党も今国会提出に向け党内手続きを進めており、与党としては31日に国会に提出する方針だ。ただし、今国会で成立するかどうかは微妙だ。
 臓器移植法改正をめぐっては、与党内で一本化できず、2案となった。一つは、脳死を一律に人の死とする案で、本人の拒否がない限りは家族同意だけで臓器提供を認める。もう一つは、脳死を一律には死としない現行法の枠組みを維持し、本人が意思表示できる年齢を現行の15歳以上から12歳以上に引き下げる。
 2案とも昨年8月に国会に提出されたが、直後の衆院解散・総選挙で廃案になった。

http://www.asahi.com/politics/update/0328/005.html


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