HOTEL RWANDA


【お断り】
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1)以下は映画の評です。映画を鑑賞される予定のある方のなかで、内容を読まれたくない方は、スキップしてください。ただ、内容をわかっていt上で、鑑賞しても十分に迫力のある映画ですが・・・。
2)文章中に「・・・族」という表現があります。現在は侮蔑的なイメージを与えるということで使用が避けられる傾向にありますが、この文章を読む方の中に、フツ、ツチ、といってイメージが持っていただける人がどの程度いらっしゃるか疑問であること、どうして「・・・族」という語の使用が侮蔑的なイメージにつながるのか明確な説明はなされていないことから、使用しました。
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ホテル・ルワンダ、という映画をご存知だろうか。

アフリカ大陸中東部のルワンダ共和国におけるふたつの民族、フツ族とツチ族の民族紛争を描いた映画である。

1994年4月、フツ族とツチ族のあいだで3年来の内戦に休戦協定が結ばれようとしていた。フツ族とツチ族は長年にわたって民族紛争を続けてきたのだ。

主人公であるポール・ルセサバギナはフツ族であった。彼はこの民族対立に関しては穏健派としての立場をとっていた。というのも、彼の妻タチアナはツチ族だったからだ。目をつけられると、すぐに殺されてしまう。

彼が働くベルギー系のホテルには国連平和維持軍が駐在し、また各国のプレスが宿泊していた。各国のプレスは休戦協定のニュースを世界に流していた。

そんななか、義兄がポールのもとに訪れ、フツ族がツチ族を大虐殺するという情報が入った、という話しをポールにする。

世界中が見ている中で、そんなことがおきるはずがない、ポールはそう確信していたのだが、数日ののち、その情報が事実としてポールの前に現れる。

“高い木を切れ、ゴキブリたちを駆除しろ”

そういうプロパガンダがラジオを通して流れた。高い木というのは身長が高いツチ族のことを示した単語だ。人々は、なたを手に殺戮をくり返した。本格的に虐殺が始まり、彼は何とか家族を守ろうとする。何度も命の危機にさらされながらも、ホテルマンとしての経験で
培った処世術で何度となくピンチを切り抜ける。

ところが、国連軍の撤退、各国のプレスの撤退・・・。
当たり前のように信じた人たちの「裏切り」。なかなか、事態が好転するようには見えない。むしろ確実に死に向かっているようにすら見えた。

しかし、ポールは愛する家族を守りたい一心で、あきらめない。生きることをあきらめない。

* * *

この映画、是非見てください。日本での公開は当初計画されてなかったこの映画ですが、署名運動を経て上映が決定されました。

渋谷のシアターN(旧ユーロスペース)でやっています。1日5回ほどの上演、私の回は満員でした。多くの人が涙していました。So did I.

94年、この事件が起きたとき、私は小学校5年生でした。NHK週間子どもニュースのなかで取り上げられていたのを今でも覚えています。ただ、正直に言って、何が何だかよくわかりませんでした。どっか遠くの話でした。

あれから早12年。大分状況は変わったような気がします。もう違ったコミットメントをしてもいいころかもしれません。いや、もう違ったコミットメントをしないといけないころかもしれません。

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●映画の背景●
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1880年代、東ドイツの統治下におかれたルワンダは、第一次大戦以降、ベルギーの統治下におかれるようになった。ベルギーはその支配を容易にするため、少数派であるツチ族を優遇し、特権階級に組み込んだ。そして、フツ族とツチ族両者の外見による違い(※1)を
彼らの意識に植え付け、互いに民族というものを意識させた。自分がどちらの民族であるかは、IDにも記載された。
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※1:もともとは、ツチ族はナイル語系で、北方からやってきたと考えられている。一方、フツ族はコンゴ川流域から来たと考えられている。フツ族が黒い肌に低い鼻、厚い唇という風貌なのに対し、ツチ族は細い鼻、薄い唇などの身体的特徴により、より「白人に近い」と考えられた。もともと、ツチ族の王を中心とした主従関係(ウブバケ制度)を持っており、フツ族は農耕民族として隷属させられてきた。当初は部族間の婚姻は認められていなかったが、欧米による支配の歴史の途中で、次第に文化的に認められるようになっていった。
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二重支配体制を敷く中で、次第にフツ族の中での不満は高まっていき、その結果、統一されていた国は急激に崩壊していった。

1994年4月、穏健派であったフツ族の大統領ハビャリマナ大統領は、何者かに暗殺され、そこから一気に、民兵は暴徒化する。ツチ族の支配に不満を持つ民兵は、「フツ族中心主義」者であった。

   “高い木(※2)を切れ、ゴキブリたちを駆除しろ”

そういうプロパガンダがラジオを通して流れた。人々は、なたを手に殺戮をくり返した。
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(※2:ツチ族はフツ族に比べ、背が高いとされ、合言葉として使われた。)
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それから3ヶ月のあいだに、ツチ族を中心に約100万人が殺害されたという。応戦したツチ族によって殺されたフツ族も少なくない。

そんな中、国連は平和維持軍の数を2500人から、270人に減少させた。肝心のときに、民衆を抑えきれないと判断し、避難してしまった。

大虐殺が終焉をむかえ、大量の難民が発生した後になってようやく、世界中が動き出した。