ジミーとフライドチキン


先週、駒東時代の英語の先生(ジミー)がなくなり、お通夜に出たらたくさん駒東関係者がいた。当然のように毎日をともに過ごしていた恩師や仲間との再会は、最近、こうした不幸があるときにか起こらない。そんなことを考えていたら、実感の沸かない恩師の死よりも、そういった事実のほうがなんだか切なさを募らせた。

でもよく考えると葬式などというものは、きっと逝く人のものではなくて、遺された人がどうやって喪失感をやり過ごして、遺されたもの同士の関係を再確認するためのイベントなのかもしれない。僕らは「いつものように」酒を飲み交わし、馬鹿話をした。きっと「駒東生、あいかわらずしょうがねぇな」とジミーは苦笑いしているのだろう。

ジミー、アメリカでジミーが行ったフライドチキン屋の話は、俺が英語を勉強するモチベーションのコアにありました。ありがとう。


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