[書評]知ろうとすること。


3323572242_2e402bc8eb_mコピーライター・糸井重里氏と東大教授・早野龍五氏による「原発」に関する対談本。震災・原発事故のあとの3年半のあいだ、何度も文章にしようと思ってもうまく書けなかったこと、ずっと心の中にあったモヤモヤをえぐられた。

地震が起きた時、私は調査で中国にいた。一週間後に帰国を控えていた頃だった。押し寄せてくる津波を映し出したニュースを前にしても現実味を覚えることはなく、一緒に調査に出かけてきていた中国人留学生と妙にハイな気分になっていた。しばらくすると原発事故が起こったことも報道された。よく分からないけど、大変なことになったと思った。

留学生をおいてひとり帰国した私がびっくりしたのは、親戚中がうろたえていることだった。実家は東京で大きな被害は特段何もなかった。それでも大きな揺れに、そして原発事故のニュースに、みんな十分うろたえていた。私はその空気に入り込めないでいて、「みんな落ち着けよ」とずっと思っていた。実際に揺れを経験したわけでもなかったから当然かもしれない。

ただ、うろたえていなかった私だけど、結局は冷静に振舞うことはできていなかった。研究者の卵であって、もうすこしカガクテキな振舞いが出来てもよかった私だけど、十分に「知ろうとすること」が出来なかった。私がしたことは周りを落ち着かせる材料をネットで探すことだったからだ。いわばそれは「大丈夫だ」という結論ありきの情報収集で、科学でもなんでもなかった。原発事故をうんちにたとえたアニメーションを家族に見せて大丈夫だよって言っていた(*1)。自分もそれで安心したかったのかもしれない。

    ◇  ◇  ◇

時間が経って、原発事故に関する全貌が明らかになるにつれ、落ち着かせる/落ち着こうとすることが単なる思考停止の気休めであったことに気が付いた。そして小学生のときに持った嫌な感覚がよみがえった。小学校の時、『はだしのゲン』を読んで、ゲンたちをいじめる「愛国」少年たちの姿を見て、私はほとほといやな気持になった。それはゲンがかわいそうとかそういうことではなくて、もし自分がその場にいたら、「愛国」の名のもとにゲンに石を投げつけてしまうだろうなという予感がしたからだった。自分の保守的というか、似非エリート的というかそういう行動に対して悪寒を覚えたのだった。

震災・原発事故をめぐっても、そうした嫌な感覚がよみがえった。抑制的か扇動的かの違いはあっても、結局は自分の保守的というか、知識層ぶった謎の思考・行動パターンが、自分を真実から遠ざけている/いたことを強烈に感じてしまったのだ。

    ◇  ◇  ◇

本書で書かれている原発の情報は勉強になる。また早野氏がこれまでに取り組んできた様々な活動(陰膳調査、ベビースキャン、高校生の派遣事業など)はどれも素晴らしい。糸井氏の話の引き出し方はやっぱりうまいし、読みやすい(*2)。でも私にとってよかったのは、3年半の間抱えてきたモヤモヤをいろいろと言語化するのを助けてくれたことだった。そして、「科学者」になることがどれだけ難しいことか、もっといえばどのくらい世の中に価値を提供しうる存在であるのかを教えてくれたことだ。真実に対して丁寧で、真摯でありたい。

そして、あの時の反省を活かすとすれば、この本を読んですべて分かった気になるのではなくて、継続的に情報を更新することを忘れないでいたい。原発のことも、その他のことも。

<注釈>
(*1)まだネット上にあった。原発事故直後に人々の不安を消すにはよかったと思う。でも、私はそのあとの情報のアップデートを怠った。/うんち・おならで例える原発解説~「おなかがいたくなった原発くん」

(*2)私は巨人の藤田監督へのインタビューが一番好き http://www.1101.com/education_fujita/

<メモ>
p13 そういうときに全部「嫌だ」って言ってると、やっぱり大事なことが見えてこないし、頑なに「大丈夫だよ」とだけ言ってても、つかめないものがあると思うんです。
p14 もしかしたらその「2冊目の週刊誌を取る」というような行動こそが、知らず知らずに風評被害みたいなことにつながってるのかもしれない。
p40 早野さんは「安心しなさい」みたいなことは一言もおっしゃってなくて、ただ事実をツイートしてたんですよ。みんなが大騒ぎしているときに、淡々と。
p45 叫ぶ人は信用できない
p102 インドのケララ集やイランのラムサールは、もともと自然放射線量の高い地域として知られていますが、福島の居住区域のレベルはそれらと比較しても低く、アメリカのコロラドなどに住んだ場合の平均被ばく量よりも低くなるというレベルです。
p115 甲状腺ガンというのは非常に進行の遅いガンで、ガンの中では危険度が低いんです。わかりやすく言うと、ほぼ、命に別状がない。 
p123 ベビースキャンは(略)不安を解消してもらうための道具だというのが大事なポイントです。
p151 自分が研究したり、発言したりする分野において、過去に何が起きて、いまどこまでがわかっていて、どこからがわかってないかというようなことは、勉強しなくちゃいけない。それは必須です。
p177 とにかく「事実」をしらなければ、まったくまちがった方向に力を使ってしまって、被害を拡大してしまう可能性もあるぞという思いもありました。それはぼく自身が小さな家族のリーダーであるということと、小さな会社の長という立場であったこと、そして、けっこうたくさんのど読者のいるメディアのせきにんしゃであることと無関係ではなかったと思います。
p180 2011年のある時、ぼくはこんなツイートをしました。〈ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。〉


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