
■「反日」の洗礼
今回は、普段から私が調査している五指山市と、M2の学生が去年初めて入った保亭黎族苗族自治県の2つの村落で調査を行っている。調査は彼らの身体活動量を調べることを目的とするもので、対象住民にアクセロメータ(加速度計)という機械をつけて生活してもらっている。簡単に言えば、万歩計のようなものだ。
五指山市は私たちの研究グループが10年以上調査してきた場所であることもあって、住民とのラポールの構築がよくできている。だから私が日本人であることが原因で嫌な思いをすることはこれまでなかった。ただ、保亭県はその辺があやふやなためだろう、コミュニケーションが若干「面倒くさい」ことがある。もっとも、日本軍による被害も多かったようだし、調査期間中に終戦記念日や東京都による尖閣調査があったりと、タイミング的にも悪かったのだが…。
村人は調査をしている私たちを止めてこう言うのである。
もちろん真摯に、丁寧に答える。私は、戦争責任の果たすということが何を意味するかは、国と個人とで異なると思っている。おじいさんが日本軍に殺されたと言う人に対して、「もう国家賠償が終わっているので、あなたに謝罪する/言葉をかけるつもりはありません」とは言わないし、それこそ相手の怒りが鎮まるまで、頭を下げつづけようと思っている。(尖閣の問題はいつも回答しないが…。)
とはいえ、彼らが納得するような答えを私は提供できないので、そのうちに相手が私に話し続けるのをあきらめる。もっと肯定的に言えば、話し尽くすまで話してもらうと言うべきだろうか。決して楽しい時間ではないが、そういうものだと思っているし、中国でフィールドワークをする者にとっては通過儀礼のようなものなのだろう。
■未来への期待とそれを失う可能性
同時にすごく期待を感じさせるのは、そうした発言をするものをたしなめたり、ポジティブに私たちの存在をとらえてくれる人がかなり存在するということだ。むしろ村人の多数はこちらに属している。
こうした人々の存在に気が付くと、「中国人は~」とステレオタイプに中国人を捉えることは極めて不用心な話だと思わざるを得ない。中国国民全員が反日だと思って対応したら、日本に対してそんなに否定的な感情を持っていない人からも反感を買いかねないからだ。それはあまりにも勿体ない。
たしかに、ナショナリズムをあおることは中国共産党が56の民族を束ねるための常套手段であり、日本軍(彼らの言葉を使えば小日本や日本鬼子)がだしに使われてきたわけだ。しかし、そのレベルの話にいちいち対応して、日本もナショナリズムに走っていくべきではない。もう一度日中戦争をするということは落としどころであってはいけないし、なによりもそうした宣伝工作の中にあっても、われわれに対して肯定的でいてくれる人が少しずつ増えているのである。
■どのようなコミュニケーションがふさわしいのか
中国国内の対日世論を調査し、効果的なコミュニケーションを研究しているの機関は日本ではどこにあるのだろうか? これまであまり聞いたことがないのだが、きちんと現地の状況に基づいて対応することが、これからの日中関係の構築において大切だろう。
※画像は抗日ドラマ、我的兄弟叫顺溜のもの。
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