トランプ前夜に


IMG_0714いよいよ明日、1月20日にトランプ大統領が誕生します。数十万人規模の抗議デモが計画され、60人以上の民主党議員が就任式を欠席し、支持率はすでに40%まで低下。抗議活動に関するWikipediaのページも着々とボリュームが増えています(https://goo.gl/ZB0sCY)。チャペルヒルでも1月16日のMartin Luther King Jr Dayに合わせてデモ行進がありました。一体この国がどうなっていくのか皆目見当もつきませんが、明るい気持ちにはなかなかなれないというのが現状です。

アメリカの一連の騒動を見ていて、いろんな人にとって「まぁまぁ無難」な道を探す努力こそが政治であり、民主主義なのかもしれないと感じています。「まぁまぁ無難」に着地するには、人々の考えや意見がある程度の範囲の中に収まっていることが欠かせません。そして、そのためには、いろいろな意見の人が長期にわたって意見を交換する場、そしてそこでは異なる意見が受容されるという他者への信頼が必要です。今のアメリカにそれがあるかどうかはきわめて怪しい。意見が異なりすぎると議論にすらならず暴力になってしまいます。それにしても、普遍的な人権を追求したオバマ政権が、アメリカ国内の意見の相違を際立たせたのかもしれないというのは、皮肉なものです(https://goo.gl/EWVRt6)。

政治に関してはアメリカほどの断絶はないように思いますが、日本だって同じことが言えるかもしれません。去年、Facebookで東大女子への家賃補助のニュースについてポストした時(https://goo.gl/mRy8iE)、いろんな人がコメントしてくれました。その際、一度書き込んだコメントを消した女性が2人いました。(女性だからという理由で)周りに何を言われるか分からないと委縮して、思ったことを言えない、書けないというのは、明らかに「まぁまぁ無難」からは程遠い状況です(もっというと、書くことすら選択肢に持てない人がきっとたくさんいるのでしょう)。彼女たちの逡巡こそが本来、民主主義に掬われないといけない「声なき声」なのだと思います。

Post truthの時代などと言われているそうです(https://goo.gl/AgJhTo)。BrexitもTrumpismもそうだし、小保方さん信者やWelqのトンデモ記事を真に受ける人もまさにPost truthの典型例だと思います。何を言っても「信じちゃっている人」には伝わらないんですよね。でもそんな今だからこそ、研究者としてtruthを真摯に追い求める姿勢を崩さないことは大切だなと感じます。そして、いつか世の中が気が付くような気がするんですよね、やっぱりTruthが重要だよねって。ちょうど日経新聞電子版に私が最近になって加入したように、「金出すからちゃんとした情報をくれ」って世の中が変わるような気がします。

正しいと思うものを正しいと信じ続けるだけの勇気をください、2017年の神様!


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