健康転換と寿命延長の世界誌 書評


日本の経験を世界に活かすためにしなくてはならないこと

 人類がここ200年ほどの間に行ってきた、健康を勝ち取る歴史を描いたのが本書である。パリですら200年前まで0歳児平均余命が20歳代であった。どのようにして人びとは、かくも長い寿命を手に入れたのか。本書では、以下の六つの戦術領域を挙げ、その領域ごとに人類が寿命が延長させていった歴史を振り返る形式をとっている。

 1.公衆衛生 / 2.医療 / 3.富と収入
 4.栄養 / 5.行動 / 6.教育

 筆者も断っているように、これらの戦術領域が、必ずしもすべてではないし、また互いに排他的であるわけでもない。しかしながら、そうでもしないと整理のつかない膨大な歴史を理解する上で、一つの方法としてこの分類は重要であろう。

ライリーの分類は事業評価のフレームとして有用か?

 国際協力、国際保健の現場で働く人たちは、戦術領域1から6まで、すべてが重要であることをよく認識している。たとえば国際保健医療学会でも、(少なくともタテマエ上は、)さまざまな分野の連携が必要であると言っている。しかし、実際にやっていることは少し異なっている場合もあるような気が私はしている。

 よく「途上国であった日本の経験を国際協力にいかそう!」という声を聞く。戦後、貧しさの中にあった日本がここまで復興できた知恵を活かそうというのである。なるほど、確かに日本の歴史は著しい発展をしており、その成功の度合いは人類史のすべてを紐解いても、極めて頭抜けている。これは保健分野においても同様である。徹底した保健活動は功を奏したし、国民皆保険も人びとの生活を保障するものだ。何より、日本が成し遂げた高齢化は、今でこそ問題であるが、わたしたちが望みに望んだ長寿の結果でもある。

 しかし、筆者は文中でこう語る。

最も集中的に研究された英国についての知見は、日本や米国がどうして高い平均寿命に達したかの説明にはあまり当てはまらない。ある一国についての寿命延長の知識を、現在、寿命が短い国々の寿命が延長するために使用しようとしてもうまくはいかない、ということである。(中略)日本の成功の理由の理解は、英国、特にイングランドでの成功の理由と同じように、短命の世界的解決には結びつかないだろうということである。(p.vi)

 人びとのいのちを永らえることは、きわめて絶妙のバランスの上でようやく成立することなのである。何かが不足しても、また過剰に存在してもならないし、それぞれの要因間のバランスが悪くてもいけないだろう。すべての状況を俯瞰するような評価がなくてはいけない。何か一つの介入だけを取り上げて、それが成功した、失敗した、といって騒ぐことなど、もってのほかなのである。

 筆者はこう続けた。

今、研究者ができる重要なことは、豊かにならなかった国の成功例や失敗例の研究である。

 私は特に失敗例の研究に私たちは取り組むべきだと思っている。成功要因に比べ失敗要因は結果に直結する。因果関係を明確に特定できる場合が多い。

 以下は、以前書いた記事からの一部抜粋である。

国際協力の分野でそれなりにシンポジウムなどに出席していると、しばしば”「途上国」であった日本の経験を活かそう”という言葉がきかれる。一時は焼け野原となった日本が、目覚しい発達と復興を遂げたその経験を活かして、現在の途上国支援、国際協力に活かそうというのが彼らの主張である。彼らによると、当時の日本の経済状況、社会開発状況はいわゆる途上国と呼ぶにふさわしい状態にあったとされる。(具体的にどのような数字を示して、彼らが発言しているのか、はっきりしない部分もあるが、仮に途上国であったとして、)果たしてここまで発展してきた「経験」を本当に活かすことができるのだろうか。
今回学会に参加して国際保健医療の現場でも同じような「現象」が見られた。正直、不安に感じる部分が少なからずあったので、メモしておきたい。

▼疑問その①:「初期条件」の違い
GDPや乳児死亡率(Infant Mortality Rate:IMR)、妊産婦死亡率(Maternal Mortality Rate:MMR)などの指標を見れば、おそらく現在の途上国と同じ水準だとしても、なかなか数字に表れない部分、教育水準(識字率のような分かりやすいものではなく。)、女性の地位、健康に対する価値の置き方、特に他の諸問題との相対的な位置づけにおいて、日本が特殊だったという可能性は否定できない。
これを言っちゃ、おしまいよ、という話なのが、国民性。国際協力においてはタブーワードなのだと思うけど、なんやかんやで大きな影響を与えているような気がする。
全体的に雲をつかむ話のようだが、野村克也の言うような「無形の力」が日本人には備わっている可能性がある。

▼疑問その②:成功事例だけ見ていて果たして本当に教訓は得られるのだろうか。
今回の学会の発表では、戦後のGHQが導入した公衆衛生活動をささえた、生活改良普及員や保健婦の活動事例があげられ、それを現在の国際協力のコンテクストの中で再評価しようとしているものであった。私が感じた問題点は、成功事例のみを事例として扱い、それをモデルとして拡大しようとしていた点である。うまくいかなかったケースに関して何の言及もなされていなかった。

ふりかけ生活(http://inoyo.exblog.jp/6599342/)より

 日本の経験は、成功した経験だけでなく、失敗した経験も含まれるべきだ。「成功」が偶然の産物であることも考えると、なおさら失敗した経験が必要なのだ。

 日本の成功はえてして、「分かりやすく」「やりやすい」プロジェクトにまとめられている。そして、諸外国で展開される。しかし、当たり前のことではあるが、「分かりやすさ」「やりやすさ」は、効果があることを必ずしも意味しない。

 はじめは簡単な分かりやすいことをして様子を見ることもあるだろう。しかし、何をするにおいても、自分がなしていることをskepticに見て、常に状況を俯瞰する姿勢が何よりも重要なのではないだろうか。蚊帳を配るとか、ワクチンを配布するとか、医師を派遣するとか、数をこなすことで満足していてはいけないのである。

まとめ

私が考える重要なこと、
1.失敗体験をも評価すること。
2.成功体験は文脈の中で評価すること。
このふたつを行うときに、本書の6戦術領域は、一つの視点になる。

メモ

▼序章
・1800年には10億弱の人類が存在し、平均寿命は30歳に達していなかった。(p.1)
・健康転換は単一要因によって単純に起こったわけではない。それぞれの国・地域がはじめから独自の戦術あるいは戦術の組み合わせで寿命延長を達成した。(p.5)
・疫学転換に関する詳細な記述(p.14)
・健康転換は、そもそも目的のための手段であって、それ自身が目的ではない。すべての人が長く健康に生きるという目標に向かって、生活状況を良くしようとするわれわれの願望は際限ないものであろう。(健康転換はいつ終了するのか p.19)
▼第1章
・西洋医学のみに頼り切るふたつの欠点(p.44)
▼第2章
・流行構造(p.55)
・DDTの使用中止は、南アジアや東南アジア、ラテンアメリカでのマラリアの復活につながった。インドで報告された患者数は1961年に10万未満であったが、1977年には3,000万以上にもなった。
▼第3章
・途上国は西側諸国よりも西洋医学の大きい恩恵を受けたのである。しかし西洋医学は、熱帯病には対処できない場合も多いことが分かってきた。熱帯病研究は期待したよりも利益が少ないので、研究資金を援助している製薬会社の失望する事態も起こっている。
▼第4章
・ジャマイカが74.8歳、ベリーズは74.7歳であったが、これは米国の76.7歳と大差がない。いっぽう、国民1人当たりのGDPは、ジャマイカはわずか3,440ドル、ベリーズは4,300ドルであったのに対し、米国は29,100ドルである。(p.117)
▼第6章
・18世紀のヨーロッパでは、入浴は邪悪な大気に全身をさらすと考えられていたため危険なことだと思われていた。(p.176)
▼第7章
・「読み書き」とはいったい何を意味するのだろうか。(p.200):ある専門家は「一般的情報へアクセスできる」。ある専門家は「教育内容そのものより、教育がもつ「コスモポリタン」的な要素が重要だと見ている。(=教育を受けることで慣習的な情報源やものの見方から開放されることが重要。)」


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